2007年04月24日

「その後の世界」を展望してみる

本稿を読む前に、できればこちらに目を通していただきたい。「コンピュータが人間より強くなってしまったとき、将棋界はどうなるか」というテーマで、かなり読み応えのある分析がなされている。小部屋のほうでも紹介したが、こういう外部の方の論考がこうして普通に出てくることが、インターネットという社会の特質なのだろう。この「その後の世界」について、いまの自分の考えを述べておきたい。
 この稿は数年後、あのときはどのように考えていたのかと振り返るときが、きっと来るだろう。それが楽しみでもあり、不安でもある。できれば明るい未来から、過去を振り返ってみたいものだと思う。

 前回書いたように、現在の僕は、近いうちに、少なくとも自分が現役でいるうちには、コンピュータに勝てなくなる日が来るだろうと考えている。そのとき将棋というものはどうなるか、プロの世界というのはどうなるのか。正直想像もつかないが、遠くない将来、

将棋を指す一般の人<プロ<ソフト

という時代が来て、そのときプロ棋士の立ち位置は、一般のファンや女流棋士と同じ側になる、という説は正鵠を得ていると感じた。プロ棋士の立場から言わせてもらえば、それは

将棋を指す一般の人<<<<<プロ<ソフト

という状態であり、そういう意味ではプロ棋士が、こと将棋に関して極めて秀でていることは間違いないのだが、問題は一般のファンの人に、そう受け取ってもらえるかということだろう。

 極めて強いプロ棋士が紡ぎだす棋譜を、楽しみにしているファンが見る。という時代は、やがて終わるのではないか。極端な言い方をすれば、僕の結論はこうだ。なぜならただ強いだけなら、ソフト同士の将棋を眺めていればいいという時代が来るわけだから。
 ただそうは言っても、現在の対局システムが、簡単になくなるとも思えない。しかし棋譜の見方、見せ方は、変わってくるような気がする。また、変えていかないと生き残れないだろうと思う。

 意識しているかどうかに関わらず、現在のプロ将棋界は「最高峰の技術」を見せるという側面が強いように思う。受け手も最高峰の戦いだからこそ、それを楽しみに見る。そこから徐々に変質して、「この人の対局だから見に行く」「この人が指しているから棋譜を見る」というような「この棋士」を見せるようになるのではないかと、僕は考えている。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、そういうふうに変わっていかざるを得ないように思う。それが一部のトップ棋士だけでなく、棋士一人一人に課せられていくような気がする。

 こう書いておいて、では具体的に何をすればいいのかと言うと、正直なところ良く分からない。ただ、これからは棋譜よりも棋士を前面に出していかないといけないのではないか。これは1年ほど前にある知人に言われたことだが、その意味をいまになってすこし理解できてきたような気がする。
 いまの将棋界は、対局の成績以外に、棋士個人の情報はほとんど表に出ていない。それだけ、成績が大事であり、それのみによって序列づけられた世界だったということではないだろうか。だがそれが本当に「仲間内の知恵比べの場」(上記リンク先その5より)になってしまうとき、他のところにも価値を求めていく必要があるのではないか。そういう危機感を、すくなくとも僕は持っている。
 いますぐにでもできることの一つとして、例えばもうすこし棋士の盤外の活動(これは何も「普及」に限らない)を表に出す努力を、連盟が組織として行っていくべきではないだろうか。棋士の価値を高める、あるいは宣伝していく努力が、もっと必要ではないかと強く感じる。

 誤解のないように付け加えておくが、僕はだから将棋が弱くてもいいだとか、良い棋譜にたいした価値はないだとか、そういうことを書いているのではない。棋士にとって将棋の技術を磨くことは何よりも大事で、それはこれからもそうだろう。技術の高さは、プロとしての生命線であり続けるべきだと思う。
 一方で、ただそれだけではプロと呼ぶに足りないと見なされる、そういう時代がすぐそこまで来ているとも感じる。今後の棋士は高い技術を持っていることを前提に、それを生かして将棋ファンのために何ができるか、そういう側面が問われるようになるのだろうと思う。

 僕たち棋士はみんな将棋バカだから、はっきり言って将棋以外のことは基本的に得意ではない。まあそれでもなんとかなってきたわけだが、どうも今後はそれではダメらしい。だから何とかしなきゃいけない。いまの自分の気持ちを大雑把に書くと、まあこんな感じになる。
 でも別にそんなに悲観はしていない。一芸に秀でた人がこれほどそろっていて、船が簡単に沈むとは思えないからだ。ただ、その能力を生かして何かやるには、どうしても外部の知恵が必要になるだろうと思う。仲間内のことは仲間内だけでやったほうがいい場合も多いだろうが、相手がいることに関してはまた別だろうから。
 自分はそのための耳と口の役割になろうと、最近はそんなことを考えている。以前も書いたが、棋士も得意分野を持つ必要があるだろう。それはどんな小さな組織でもやっている「役割分担」ということに他ならない。そうしていろいろな角度から将棋ファンにアプローチしていければ、きっとこの世界の未来は明るいと信じている。


今回はリンク先を受けて、プロ棋界について展望してみた。もうひとつ、将棋というゲームそのもの(の変質)についても書いてみようと思ったのだが、それはまたの機会にします。
posted by daichan at 23:39| Comment(13) | TrackBack(3) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする