2006年12月07日

女流棋士独立について

この時期にブログを始めたのは全くの偶然だったのですが、このタイミングで大きなニュースが飛び込んできたことには、何か縁のようなものも感じます。この件に関して、僕の現時点までの見解をまとめておきます。

 
 「女流棋士」というものについて僕がある程度の知識を得たのは、たしか女流棋士発足30周年のパーティーが行われた前後だったと思う。いまから3年ほど前のことで、自分がちょうど四段になった頃のことでもある。やはり奨励会員ではわからないことも多かったのだと思う。
 このブログにたどりつくまでに、ほとんどの人が「正会員でない」という言葉を目にしたと思うが、このことの意味が自分がそうなるまではなかなかわからなかった。記事を目にした一般の方の多くは「それで結局、女流棋士というのはプロなの、そうでないの?」という疑問を抱いたと推測するが、まさに彼女たちはプロであってそうでないような、複雑な立ち位置なのである。このことが今回の最も大きな原因であって、定義があいまいなままでなければ、こんなことにはならなかっただろうと僕は思う。


 一般的に言って、女流棋士は弱い。これはプロアマ問わずある程度将棋を知っている人なら常識である。最近はアマが(男性)プロにちょくちょく勝つようになっているが、そういう強い「アマ」というのは実は一部の女流「プロ」よりはずいぶん強い。「このために」、女流棋士は肩書きはプロでありながら、内部では「プロ」としてみなされていないようなところがある。

 しかし、である。この「弱いから」という理屈は若干複雑な問題をはらんでいる。この理屈を将棋ファンが言うぶんにはかまわない。そういうお客さん、つまり女流は弱いから問題にしない、という将棋ファンは意外と多い。そのことを女流棋士たちは知るべきだし、そうしたファンを振り向かせたければ頑張って強くなるしかない。実際にそういう人たちが女流棋士より強いかどうかはともかく、そういうスタンスでプロと接するのはその人の自由であろうから。
 だが男性棋士(注1)が「弱いから」女流棋士たちをプロとはみなさない、というのは大きな間違いだろう。なぜなら、彼女たちを「女流棋士」(=プロ)として組織してきたのは男性棋士の側であるからだ。「プロと呼ぶには弱い」女性たちを「女流棋士」として遇してきたのは、将棋連盟を組織する男性棋士の側に他ならない。組織として見たときに、「日本将棋連盟」に属する男性棋士たちが、「女流棋士」たちをプロとして認めないのは、明らかに矛盾がある。そして、現在までの女流棋士の待遇というのは、プロと呼ぶにはあまりにも悪い。

 そうは言っても、これは組織としてみた場合の話であって、棋士個人となるとまたすこし話は違ってくる。言うまでもなく、男性棋士たちは皆一人の例外もなく、女流棋士たちよりはるかに苦しい修行時代を過ごし、厳しい競争を勝ち抜き、8割の人間が夢破れて去っていく中でプロの座を「勝ち取って」きた。繰り返し断言するが、これは絶対に一人の例外もない。簡単にプロになれてしまう女の世界とは違う、という感情が湧いてきても仕方がない。自分自身も、なぜ自分よりはるかに弱い人たちがプロなのか疑問を抱いたことはあった。それを通り越して、あんなのはプロとして認めない、という感情が出てくるのも大いに理解できる。ここに個人の感情と、組織の論理との決定的な違いがある。(注2)
 僕は現在、当然ながら女流棋士にはかなり好意的な立場の棋士だと思うが、心の中で女流をプロと認めていない男性棋士というのは、残念ながら極めて多いと思う。

 
 再び組織の話に戻るが、女流棋士の待遇が悪いということの一つに、「決定権がない」という言葉を目にした方が多いだろうと思う。棋戦の契約・育成会の運営などをはじめ、現在女流棋士会として活動するすべてのことは将棋連盟理事会に決定権限がある。このことが、僕が四段になるまではよく知らなかったことのひとつであり、彼女たちがプロでありながら、内部ではプロとして認められていないことの象徴であろうと思う。
 このことを考えるとき、僕の頭には「自治権」という言葉が浮かぶ。女流棋士たちにはこれまで、どんな些細なことであれ自治権は全く与えられていなかった。すこし大げさな言い方をすれば、(女流棋士会という)組織が力をつけてくれば、やがて自由を求める戦いへと発展するのは、歴史の必然だったのではないだろうか。
 

 それぞれの時代にはそれぞれの事情があっただろうし、いまから見てこうすべきだったということは必ずしも正しくないかもしれない。ただ、将棋連盟はもっと女流棋士に関心を持ち、将棋界の発展のために活用するすべを考えるべきであったということは言えると思う。強さという点が足りないならば、それを伸ばす方策(例えばプロ入りのハードルを高くするとか、何らかの方法でプロ入り後にも厳しい競争を課すとか)、あるいはそれを補う方策を考えるべきであった。また、もっといろいろな形で活用することで、待遇を改善するべきであった。例えば女は聞き手、男は解説といったい誰が決めたのか。女であるから解説ができないはずはないし(もちろん、強くないとできないということはあるが)、逆に男だからと言ってできるとも限らない。そういったことは権限のある、時の理事会の考えるべき仕事であったと僕は思う。


 ここで再び感情の話に戻る。あくまでも僕の推測だが、不幸なことにこの感情は「無関心」へと昇華されていくケースが多いようだ。一般的に、男性棋士の女流への関心は驚くほど低い。これがどういう原因によるものなのか僕にはまだよくわからないが、ここ2年あまりで女流棋士の問題が棋士会などで話し合われたことはほとんどなかったように思う。つい先日の棋士会も普段と変わらない人数で、名人戦問題の起きた4月と比べるとたぶん半分にも満たなかった。これでは現状を変えることは難しい。

 例えば女流棋士が、自分たちのことは自分たちで決められるように、将棋連盟の制度を変えることはそれほど難しくなかったように思える。連盟にとってそれほど不利益な話であるとは思えないからだ。だが現実には、多くの棋士が無関心でいる以上はそれさえも実現しない。そのことを知ったとき僕は、女流棋士は早く独立すべきだと思った。彼女たちの才能を生かし、活躍の場を広げるには、現状ではそれが最良の方法であると思った。


 将棋に関して、女であるがゆえにできないことはおそらく何もないだろう。棋力が低いがゆえにできないことはいくらかあるかもしれないが、全体から見ればそれもたかが知れているのではなかろうか。四段になることだけを目標にしていた頃には考えもしなかったことだが、いまは本心からそう思えるようになった。

 僕は今回の経緯についてはほとんど何も知らないし、応援できることも何もないが、彼女たちの成功を心から願っている。組織というものを動かしたり新たに作ったりする苦労は自分には全くわからないが、多くのファンの支えがあればきっとうまくいくことだろう。既存のファンも新しくこの世界を知った方も、これからもどうか温かく応援してほしいと思います。


 それにしても、今年は本当に「プロとは何なのか」と考えさせられる出来事が多かった。一般的に言って、女流棋士というのは男性に比べるとプロ意識が高いように思う。いろいろ理由はあるだろうが、そうでなくては生き残れなかったというのが大きいのではないかと思っている。「プロ意識」という部分に関して、きっと我々男性棋士が見習うべきことが多々あるのではないかと思う。プロ意識については将棋世界の最終回でも多少触れたので、それはまた稿を改めたい。

(2006年12月6日 記)


(注1)業界用語では「棋士」というと原則奨励会を抜けた四段以上のプロ(将棋連盟正会員)のみを指し、女流棋士や指導棋士は含みません。「女性の棋士はまだ誕生していない」というのはこういう意味です。この稿では分かりやすくするために、業界にはない「男性棋士」という言葉を使いました。
(注2)補足すると、奨励会員(外部)と棋士(正会員)の違いも大きい。奨励会時代に抱いた感情を、棋士になった(=組織の一員になった)とたん捨てろと言われても難しいのはお分かりいただけるだろう。
posted by daichan at 09:23| Comment(21) | TrackBack(5) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月02日

観戦記について@

 いろいろ書きたいことが多くて、まとめるのに時間がかかってしまいました。Aがいつの機会になるかは分かりませんが、今回は「即時性」というテーマに絞って、書いてみたいと思います。

 将棋界をこれまで支えてきたもの。その柱の一つが、新聞社というスポンサーであり、それぞれの新聞に掲載されてきた観戦記であろうと思う。新聞に将棋が掲載されることで、棋士たちはお金を得て、同時に将棋の普及にも役立ってきた。その観戦記が「インターネット」という新たなメディアの出現で変わろうとしている。また、変わっていくべきだと思う。

 かつて新聞の観戦記というのは「即時性」を備えたものだったのではないかと想像する。昔のことはわからないのであくまでも推測だが、かつては新聞が将棋の詳しい内容を知るための、最速にしてほとんど唯一の手段であり続けたのではないだろうか。「将棋雑誌があるじゃないか」と言うなら、新聞を「出版物」と読み替えてもらってもよい。その状況がいま、インターネットの出現により、大きく変化している。

 たとえば、いま渡辺竜王の将棋について詳しく知りたければ、見るべきものは週刊将棋でも将棋世界でもなく、渡辺明ブログであることは広く知られていると思う。本人の記事が最も信頼できる上に最も早いと来ている。この現実は実際に取材して記事を書く人にとっては厳しいが、その現実を乗り越えて、それでも読みたいと思わせるだけの物を書かないと読者はついてこない。一言で言うと、書き手のその人なりの個性を出していくしか方法はないと思う。
 新聞の観戦記も同じことで、結果も、場合によっては内容もネット上で見ることのできる対局について、後発で類似の記事を出しても読者は評価してくれないだろう。満足させるには内容を良くするしかない。何が言いたいかというと、「即時性を自然と備えていた時代と同じやり方をしていてはだめだ」ということである。

 現在の新聞観戦記というのは、だいたい対局から1ヶ月後ぐらいに掲載されるものが多いが、中には数日中に掲載されるものや、逆に3ヶ月ぐらいたってから掲載されるものもある。読者は一般に、掲載は早いほうがいいと思われるかもしれない。たとえば、遅くなるとこんな指摘もある→対局時期と掲載時期がかけ離れている物が結構多いので、掲載時期を忘れてしまうという事が多いのです。

 しかし僕は必ずしも掲載時期が遅いことが悪いとは思わない。問題は、すべてが同じような取材方法、同じような書かれ方をされていることだと思う。即日まとめなければいけないもの、数日中のもの、数ヶ月後のもの、そのすべてが同じ情報、同じ取材(その大半は感想戦)に基づくもので果たして良いだろうか?僕はそうは思わない。

 時間がたつことで、対局者本人がその将棋に対する理解を深めることもあるし、注目のカードであれば多くの棋士が目を通すわけだから、棋士仲間のその将棋に対する評価も自然と定まってくるだろう。同じような将棋が流行するきっかけになることもあれば、逆に指されなくなることもある。わかりやすい例を挙げると、「最新流行形」とネット中継に書いてあるならいいが、これを数ヶ月過ぎた観戦記で使うのは無理がある場合が多いだろうと思う。
 対局中にはこのように考えてこう指した→感想戦で調べてみたところこう指すべきだと判明した→しかし改めて冷静になって一人で考えてみるとやっぱり納得がいかない、なんてことはざらにある。そうした心理の動きが書かれているものはなかなかお目にかかれない。僕が一番嫌いなのは「▲○○○では▲○○○が良かった」(感想戦の結論)の繰り返しである。報道記事としてはもちろんその事実も大切かもしれないが、事実であるという以上の価値(面白さ・将棋の魅力)は生まないと思うから。

 大雑把に言って、即時性が必要なものは、対局前・対局中そして対局直後に得られる情報に片寄らざるを得ないだろう。ネット中継というのはだいたいがそうだと思う。ならば、時間のたってから出る文章には、その逆、つまり時がたってからでなくては得られない情報が盛り込まれてしかるべきだと思う。そしてその上で、その書き手でなくては書けない「味」が出てくるのが理想だろうと思う。


 最後に改めて、この稿で一番言いたかったことは「即時性を自然と備えていた時代と同じやり方をしていてはだめだ」これに尽きます。その点がしっかり伝わっていればと願います。
 これまで観戦記の世界は、外部との接点でありながら、将棋界の中でも特に閉鎖的だったのではないか、と僕は感じています。それをすこしづつでも変えていくきっかけになれば、と思っています。
posted by daichan at 00:27| Comment(7) | TrackBack(3) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

観戦記について―引用ふたつ

まとめに変えて、今回のきっかけとなった梅田望夫さんのブログから、二つ引用しておきます。

(前略)分量の多さというのはとても大切な要素なのだ。将棋がそんなに強くない人でも、このくらいの字数をかけて丁寧に手の意味を解説してもらえれば、ちゃんと将棋の魅力、楽しさというのは伝達可能なのである。

 これは主に、純粋に指し手の解説のことを指しているものと解釈しました。かいつまんで説明すればするほど、棋力の低い人にもちゃんと伝わる、ということなのだと思います。
 それはその通りだと思いますが、僕自身は、観戦記の面白さそのものと、分量の多さというのは必ずしも関係ない、少なくとも比例するものではないと考えています。極端な話、指し手の解説が一切なくても、力のある書き手ならば「読ませる」ものを書けると信じています。それはもはや「その将棋の観戦記」という枠を超えて、その書き手による一つの「作品」のようなものなのかもしれませんが、それはそれで一つのあり方ではないかと思います。

 将棋ファンを分ける一つの要素として、「指し手の詳しい解説を望む層」と「そうでない層」というものがあると思います。他に「棋力」(高い・低い)「見るor指す」などいくつかの要素があるでしょうが、この要素は中でも最も厄介なものだと思います。「あちらを立てればこちらが立たず」という状態になりやすいからです。余談ですが、これは特に大盤解説会で悩まされる点だと思います。
 ブログを読む限り、梅田さんは「指し手の詳しい解説を望む層」であろうと想像します。そして、現在の新聞の観戦記欄では、そちら側の層を満足させるのは、なかなか難しいだろうということが分かります。「初段くらい」というのは将棋ファン全体の中では、決して低い棋力ではないのですから。とすれば、新聞観戦記は、主に「そうでない層」の方へのアプローチを念頭に置くべきなのかもしれません。もし読者層として「新聞の読者一般」を念頭に置くならば、それは理にかなったことと言えるでしょう。


 そういう長文の枠さえ用意すれば、若い棋士の中からも素晴らしい観戦記を書く人材も育つだろうし、「将棋の魅力」はより広く伝達されていくことだろう。この「長い観戦記」を土台に、その周囲に「Wisdom of Crowds」(群集の叡智)を集めることだってネット上なら可能である。

 これは実現の難しさはともかくとして、大筋においては大賛成です。多様な見解、多様な情報が発信されることで、内容の向上が期待できるというのがその理由の一つです。特に「人材が育つ」という点は見逃せないと思います。現状においてはそうした土壌は極めて少ないと思います。
 また、「スペースに制限がない」ことから、多様な層への別々のアプローチが可能になる、ということも期待できそうです。簡単な例を挙げると、初級者向け・中級者向け・上級者向け・・と棋力に応じた解説が可能になるかもしれない、ということです。そうすればより多くのファン層に、その将棋について理解してもらうことができます。もちろんその分労力もかかるわけですが。

 ネットの話になるとどうしても飛躍してしまいがちです。自分があまり詳しくないことと、それでいてその無限にも思える可能性にワクワクしてしまうせいでしょうか。

 梅田さんがコメントを寄せて下さった通り、観戦記は「外の世界との唯一の接点」ですから、ファンの方には読んでほしいのはもちろん、積極的に提言してほしいと思っています。「こういうふうにしてほしい」という一つ一つの要望・提案が、大きな力になるのではないかと思っています。
 最近こんなブログを見つけました(と言うか、トラバしていただいたんですが)
 どういう方かは存じませんが、この観戦記に関する部分は、非常にうなづかされるものでした。これからの時代の「読者の声」と言うのは、こういうふうにネット上からも拾っていかないといけないのかもしれませんね。
posted by daichan at 00:37| Comment(3) | TrackBack(1) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月09日

テレビ棋戦の感想戦について

 2月は銀河戦で都合3度、テレビに出させていただいています。小部屋のほうでは収録日と放映日の時差の問題について触れ、いくつかご意見をいただきました。結論としては、「結果を知らないほうが楽しめる」という意見が多かったようです。
 この問題も大切なことですが、実はテレビ棋戦に関しては以前から、より大きな問題だと思っていることがありました。それは「感想戦」です。ちょうど良い機会なので、今月はテレビ棋戦の感想戦について述べてみたいと思います。


 将棋のテレビ放映において一番難しいのは、いつ終わるか、どのぐらい時間がかかるかが、わからないことではないかと思う。現在将棋界のビッグタイトルである竜王戦・名人戦では衛星放送による中継が行われているが、終局前後の時間帯を映してほしいというファンの声はいつも耳にする。しかしそれがいつになるかというのは、1時間程度の幅をもってしても正確に予想するのは難しい。そういうわけで、最終的にはダイジェストに頼るのは仕方ない意味があるのだろうと思う。
 現在行われているNHK杯・銀河戦も、おそらくそういう事情からだろうと思うが、すべて録画であり、これを生放送でやるのは難しいのだろうと思う。一方、生放送でないことによって、工夫できる部分もあるのではないか?と僕は感じている。ちょうど、時間がたってから掲載される観戦記と同じように。それが「感想戦」の部分なのである。

 感想戦は何のためにやるのか?と言われると、棋士にとっては何よりも勉強のためであろうと思う。自分の指し手のどこが悪かったのか、研究することはプロアマ問わず、上達のためにとても大切なことである。同時に、その将棋のポイントとなる部分はどこだったのか、どの手が最終的に敗着になってしまったのか、そうしたことが検討によって明らかになっていく。だからたとえば観戦記を書く人にとっても、感想戦は最も見逃せない部分になる。
 ではテレビ放映においてはどうだろうか?と考えたとき、残念ながら現在は、放送時間の穴埋めに過ぎなくなっているように思う。これを解決すれば、もっと番組を楽しめるファンの人は増えるのではないだろうか。

 番組を何度かでも見たことがある人ならお分かりだと思うが、感想戦はいつも放映されているわけではない。対局を終わりまで流して、時間が余った場合のみ、その一部が放映される。僕の印象では、5〜10分ほど残るケースが多いような気がするが、時間がない場合もけっこうある。あくまでもオマケなのである。まあオマケなのは当然としても、それがいつも「感想戦の途中ですが、そろそろお時間となりました」と尻切れトンボになってしまうのは、見ていて残念でならない。

 前述したように感想戦は、その将棋のポイントが明らかになっていく場である。これを、見ている人に届けない手はないと思うのだがどうだろうか。
 具体的には、まず感想戦は基本的に全部収録しておいて、できればポイントの部分をうまく編集して流すようにする。これだけでもずいぶん違うと思う。ただ、プロ同士の将棋の会話というのは、お互いの了解のもとにどんどん進んでいくので、見ているほうにはものすごく難しい。終局後なのだから、見ている人を意識してしゃべるべきだという気もするが、現実に対局直後に、そこまで気を遣うというのはけっこう難しい。

 というわけでもうひとつ。感想戦の後に、その感想戦のまとめを、解説者が大盤で簡単に解説する。2分もあれば十分だと思うが、その枠はあらかじめ用意しておいて、感想戦が放映される・されないに関わらず行う。こうすれば、見ている人に一局のポイントが分かりやすく伝えられて良いのではないかと思う。消化不良な感想戦で終わるよりも、番組がずっと引き締まるのではないだろうか。

 そもそも解説者というのは、対局者が何を考えているのか、何を考えて指したのかを伝えるのが重要な役割だと僕は考えている。これすなわち「翻訳者」なのである。感想戦というのはそのままでは難しいから、やはり翻訳が必要であるというのは、極めて自然な話であろうと思う。

 実はいまでも銀河戦のほうでは、これと似たようなことがときどきある(NHKのほうは解説したことがないのでわからない)。それは、時間が微妙に数分残った場合で、この場合は解説者は感想戦に加わらず、その1局のポイントを口頭でしゃべって終わりになる。で、それはなぜか感想戦の前に撮ってしまうらしい。僕が上で書いたのは、これを感想戦の後にすれば、そしてそれを常にやればいいのではないかという、ただそれだけの話なのである。たったそれだけだが、そうすれば対局者は何を思ってその手を指したのかとか、そういう情報を伝えることができる。これが大きいのではないかと、以前から思っていたのでこの機会に書いてみた次第です。
posted by daichan at 12:45| Comment(8) | TrackBack(1) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月22日

コンピュータ将棋について

 いやはや驚いた。ボナンザの強さに、である。正直言ってあそこまでとは思わなかった。将棋の「強さ」というのはある程度の棋力がないと分からないものだろうから、多くの方は実感はわかないと思う。しかし一方で、多くの関係者は本当に驚いたに違いない。
 正直なところ僕の最近の関心は、自分の昇級と女流棋士の問題がほとんどで、このイベントのことはすっかり忘れていた。世間の関心を集めるのも、いますこし先のことだと思っていた。しかしいざ将棋を見て、いま書いておかないと機会を逸すると思ったので、たいした知識もないのにこうして取り急ぎ書いている次第。今回はプロ棋士の視点ではあるものの、一方では全くの素人の見解でもあるということを念頭に置いて読んでほしい。


 僕が奨励会初段前後の、中学生の頃のことだったと思うが、チェスの世界チャンピオン・カスパロフがディープ・ブルーというコンピュータに負けた。僕にとっては遠い海の向こうの出来事でしかなかったが、おそらくチェスの世界にとっては大きな衝撃だっただろうと思う。その後人間とコンピュータの戦いが報じられた記憶はないが、この一事をもってコンピュータがチェスの世界で人間を凌駕したというのはいささか疑問ではある。(理由はのちほど)
 ただ、いまは当時と比べるとハードの性能が格段に進歩しているから、おそらく世界チャンピオンよりもコンピュータのほうが強いのだろうと、勝手に想像している。実際のところどの程度の差があるのかは、プロ棋士としては若干興味のあるところである。

 さて、その頃何かで読んだ文章で、このようなものがあった。
「コンピュータというのはおしなべて、人間が予想するよりも早く、目標に到達するものだ」
 古い記憶なので不正確かもしれないが、だいたいこんな内容だったと思う。その頃のコンピュータ将棋というのはみなさんご存知の通りまだ弱く、プロレベルに達するのは当分先だと、おそらくほとんどの人が考えていた。まさか10年ほどでこんなに進歩するとは思ってなかったのではなかろうか。僕自身は「自分が生きてるうちには抜かれるんじゃないかなあ」という程度の予想だった。そして結果はと言うと、将棋のコンピュータは、多くの人の予想よりずっと早いペースで進化したのである。他の分野に関しては知らないが、少なくとも将棋に関する限り、上の説は正しかったようだ。

 その後の僕の予想は、大学に入る頃には「自分が棋力が落ち始める頃には勝てなくなりそうだ」となり、しばらくすると「どうも近いうちに負けるかもしれない」に変わった。いまは、もし自分が負けても全く驚かない。少なくとも先日の将棋を見る限り、渡辺竜王が負けてもなんら不思議はなかった。今回はたまたま(という言い方は語弊があるが)人間が勝ったが、繰り返し指せばトッププロと言えども確実に負ける。だいたい24レーティング2800点といったら僕より上だ(笑)。だから渡辺君にぐらい勝ったって当然だ。というのは冗談が過ぎるとしても、竜王と言えども全勝はありえない。そういうレベルに達している。


 これまた出典がなくて恐縮だが、いまコンピュータ将棋の世界では、トッププロに追いつく時期として「2012年」という説が有力だと、すこし前に聞いたことがある。だとすればわずか5年先のことであり、かつ、上の法則によればそれよりも早いわけだから、5年ももたないということになる。あれだけの実力を見せられると、たしかにそうかもしれないなと僕は思う。実際のところどうなるのかは分からないが、今後もボナンザがいっそう注目を集めることは間違いない。

 さて、コンピュータvs人間という構図は、たしかに多くの人の興味を引くものではあると思うが、棋士としてはすこし残念な部分もある。それは、一度でもコンピュータが勝ってしまうと、そこでこのイベントはおそらくおしまいになってしまうという点だ。せっかくこれだけの観客の興味を引くイベントなのだから、何か工夫をして、しばらくの間競合していけないものかと思う。
 将棋に限らず多くのゲームがそうだと思うが、プロレベルになると、いつも勝つということは難しい、と言うより不可能である。何番かやれば絶対に負ける。だから、一番負けたからと言って、即終わりにしないでほしいというのが僕の願いだ。ニュースとしてはそこで終わりなのかもしれないが、将棋のイベントとしては、それで終わりにする必要はないような気がする。

 例えが適切かどうかわからないが、かつて女流棋士やアマチュアも、A級棋士やタイトル経験者を倒したこともあったし、立て続けに2,3番プロに勝ったこともあった。だからと言って、プロレベルに追いついたとか、あるいは凌駕したとか、そういうことにならないのは明らかだろう。その事実は、コンピュータ将棋でも同じではないだろうか。(ついでに言うと、チェスでも同じ)
 もちろんコンピュータには、「ほぼ絶対的に、弱くなることはない」という決定的なアドバンテージがあるから、先の例とははっきり異なる、ということは言えるだろう。いつかは間違いなく人間を凌駕してしまう。さらにその先どうなるかは分からないが、たぶんそのときコンピュータは、上達のために欠かせないものになるのだろうと思う。

 ただ僕の予想では、コンピュータが初めてプロに「1局」勝った日から、数年の間は競合関係が続くような気がしている。根拠は特にないのだが、「1番入った」と「追いついた」と「追い越した」はそれぞれ、ずいぶん差があるというのが僕の、20年将棋を指してきた中での実感だからだ。それがコンピュータにも当てはまるかどうかは知らないが、負けた翌年に再挑戦して最強コンピュータに見事リベンジ、そんな人間の姿も僕は見てみたいのである。門外漢の戯言かもしれないが、コンピュータ将棋の関係者の皆様には、ぜひ「人間が負けたそのあと」のことも、考えていただきたいと思う。
 そしてもちろん、我々プロの側も覚悟しておかなくてはならない。いま考えておかないと、もう間に合わなくなる時期に来ているように思う。とりあえず僕は今日、初めてボナンザをダウンロードしました。これから彼との共存について、考えていきたいと思います。
posted by daichan at 20:26| Comment(33) | TrackBack(4) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

「その後の世界」を展望してみる

本稿を読む前に、できればこちらに目を通していただきたい。「コンピュータが人間より強くなってしまったとき、将棋界はどうなるか」というテーマで、かなり読み応えのある分析がなされている。小部屋のほうでも紹介したが、こういう外部の方の論考がこうして普通に出てくることが、インターネットという社会の特質なのだろう。この「その後の世界」について、いまの自分の考えを述べておきたい。
 この稿は数年後、あのときはどのように考えていたのかと振り返るときが、きっと来るだろう。それが楽しみでもあり、不安でもある。できれば明るい未来から、過去を振り返ってみたいものだと思う。

 前回書いたように、現在の僕は、近いうちに、少なくとも自分が現役でいるうちには、コンピュータに勝てなくなる日が来るだろうと考えている。そのとき将棋というものはどうなるか、プロの世界というのはどうなるのか。正直想像もつかないが、遠くない将来、

将棋を指す一般の人<プロ<ソフト

という時代が来て、そのときプロ棋士の立ち位置は、一般のファンや女流棋士と同じ側になる、という説は正鵠を得ていると感じた。プロ棋士の立場から言わせてもらえば、それは

将棋を指す一般の人<<<<<プロ<ソフト

という状態であり、そういう意味ではプロ棋士が、こと将棋に関して極めて秀でていることは間違いないのだが、問題は一般のファンの人に、そう受け取ってもらえるかということだろう。

 極めて強いプロ棋士が紡ぎだす棋譜を、楽しみにしているファンが見る。という時代は、やがて終わるのではないか。極端な言い方をすれば、僕の結論はこうだ。なぜならただ強いだけなら、ソフト同士の将棋を眺めていればいいという時代が来るわけだから。
 ただそうは言っても、現在の対局システムが、簡単になくなるとも思えない。しかし棋譜の見方、見せ方は、変わってくるような気がする。また、変えていかないと生き残れないだろうと思う。

 意識しているかどうかに関わらず、現在のプロ将棋界は「最高峰の技術」を見せるという側面が強いように思う。受け手も最高峰の戦いだからこそ、それを楽しみに見る。そこから徐々に変質して、「この人の対局だから見に行く」「この人が指しているから棋譜を見る」というような「この棋士」を見せるようになるのではないかと、僕は考えている。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、そういうふうに変わっていかざるを得ないように思う。それが一部のトップ棋士だけでなく、棋士一人一人に課せられていくような気がする。

 こう書いておいて、では具体的に何をすればいいのかと言うと、正直なところ良く分からない。ただ、これからは棋譜よりも棋士を前面に出していかないといけないのではないか。これは1年ほど前にある知人に言われたことだが、その意味をいまになってすこし理解できてきたような気がする。
 いまの将棋界は、対局の成績以外に、棋士個人の情報はほとんど表に出ていない。それだけ、成績が大事であり、それのみによって序列づけられた世界だったということではないだろうか。だがそれが本当に「仲間内の知恵比べの場」(上記リンク先その5より)になってしまうとき、他のところにも価値を求めていく必要があるのではないか。そういう危機感を、すくなくとも僕は持っている。
 いますぐにでもできることの一つとして、例えばもうすこし棋士の盤外の活動(これは何も「普及」に限らない)を表に出す努力を、連盟が組織として行っていくべきではないだろうか。棋士の価値を高める、あるいは宣伝していく努力が、もっと必要ではないかと強く感じる。

 誤解のないように付け加えておくが、僕はだから将棋が弱くてもいいだとか、良い棋譜にたいした価値はないだとか、そういうことを書いているのではない。棋士にとって将棋の技術を磨くことは何よりも大事で、それはこれからもそうだろう。技術の高さは、プロとしての生命線であり続けるべきだと思う。
 一方で、ただそれだけではプロと呼ぶに足りないと見なされる、そういう時代がすぐそこまで来ているとも感じる。今後の棋士は高い技術を持っていることを前提に、それを生かして将棋ファンのために何ができるか、そういう側面が問われるようになるのだろうと思う。

 僕たち棋士はみんな将棋バカだから、はっきり言って将棋以外のことは基本的に得意ではない。まあそれでもなんとかなってきたわけだが、どうも今後はそれではダメらしい。だから何とかしなきゃいけない。いまの自分の気持ちを大雑把に書くと、まあこんな感じになる。
 でも別にそんなに悲観はしていない。一芸に秀でた人がこれほどそろっていて、船が簡単に沈むとは思えないからだ。ただ、その能力を生かして何かやるには、どうしても外部の知恵が必要になるだろうと思う。仲間内のことは仲間内だけでやったほうがいい場合も多いだろうが、相手がいることに関してはまた別だろうから。
 自分はそのための耳と口の役割になろうと、最近はそんなことを考えている。以前も書いたが、棋士も得意分野を持つ必要があるだろう。それはどんな小さな組織でもやっている「役割分担」ということに他ならない。そうしていろいろな角度から将棋ファンにアプローチしていければ、きっとこの世界の未来は明るいと信じている。


今回はリンク先を受けて、プロ棋界について展望してみた。もうひとつ、将棋というゲームそのもの(の変質)についても書いてみようと思ったのだが、それはまたの機会にします。
posted by daichan at 23:39| Comment(13) | TrackBack(3) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

大和証券杯について

大和証券杯の公式HPはこちらです。

 先月末の棋士会で、最も大きな議題は大和証券杯のことだった。一言で言うと、もっと多くの人に見に来てもらいたいということ。最高峰の将棋はもちろんすばらしいものだし、それなりの数の人が見に来てくれているのだが、もっともっと盛り上がるためにはどうすれば良いか、活発な議論が交わされた。
 僕もいろいろとアイデアは持っているが、一人で話しすぎてもいけないのでそのときは発言しなかった。決勝戦目前のこの時期に、今後に向けてこの場でいくつか提案してみたいと思う。
 はじめにお断りしておくと、このスペースに書くことは基本的に、ファンの方を巻き込んで議論したい内容であることが多いので、「内部で発言してはどうですか」という批判は当たらないと思っている。特にこのネット棋戦に関しては、ネット上で議論百出という状態こそ好ましいと考え、このエントリを立てた次第。
 ネット上でのあるイベントが盛り上がったかどうかというのは、それについて言及する人がどのぐらいいるかが、一つの指標になるのではないかと思う。その意味では、これを読んだ人が自分のスペースで、新たに記事を書いてくれるという展開を筆者は強く望んでいる。
 敢えて誤解も批判も恐れずに書くならば、大和証券杯について、ネットに普段繋がってない人たちで議論してもあまり(全く、ではない)意味がないと思っている。「将棋の内容や結果には興味があるけれども、ネットは見ない」という人たちよりも、「棋士のブログはよく見るけれども、対局となるとちょっと」という人たちにこそ、「こうすれば見るのになあ」というようなアイデアをどんどん発信してほしい。
 また、運営側もそういった声を目にすることで、棋戦がより良いものになっていくのではないかと思う。担当する方たちは「大和証券杯」という文字が躍っている文章には、できる限り目を通してほしいと思います。


 さて、総論はこれぐらいにして、ここからは具体的な提案をいくつか。

◎局前、局後のコメントを取る
これぐらいは当たり前だと思うんですが、どうなんでしょう?特に今回は不慣れな方も多かったと思いますから、そういった感想を聞くことも非常に有意義だと思います。16人ものトップ棋士が対局したのに、ネット上で渡辺竜王の感想しか読めないのではさびしいでしょう。
最強戦終了後に始まる対抗戦第1弾では、その点ちゃんと相手に関するコメントが出ています。みなさんお行儀が良いですね(笑)勝ってからで良いので、面白いこと言ってほしいです。特に後輩諸君。

◎解説を棋士に開放する
ネットというのは時間が勝負です。僕が見ていて気になったことは、数手進んでから遅れて解説が入るケースが非常に多かったこと。テレビの解説と違って大盤で戻すというわけにいかないので、本当に一瞬の作業が要求されるはずなんですが、解説者も対局者と同じく不慣れなのは致し方ないところです。
そもそも30秒将棋で、一人の解説者では限界があります。正規の責任者は必要でしょうが、他の棋士も自由に書き込みができる状態にしておくのが良いように思います。棋士・実名に限れば、そんなに混乱もないでしょうし、観戦者の理解の助けになると思います。
それと、解説者の代打ちは論外。対局者は仕方ないとして、解説はチャットがある程度できる人であるのは前提にしてほしい。だって、それってほとんどしゃべらない人がラジオに出るようなものですよ。

◎写真を出す
僕の知る限り、順位戦のネット中継で、ファンの一番人気はこれ。あのサイトは本当に写真が充実しています。(ちなみに二番人気は食事の注文。たぶん)
どうしてトップ棋士がマウスに向かう姿が、週刊将棋や将棋世界には出ているのに、公式HPには全く出てないのか。インターネットというのは無限性が大きな特長なのですから、可能な限りUPしてほしいと思います。

◎アイデアを募る(特に対抗戦)
 対抗戦第1弾の概要が発表されています。戦型指定というのはなかなか面白いアイデアだと思います。熟練側はそうそうたるメンバーですが、プレッシャーがかかるのはむしろ若手のほうでしょう(笑)
 第2弾もあるはずですが、ぜひ今度は公募してほしい。なぜか?それは良いアイデアが欲しいというよりも、企画を考えてもらうということは、その人は興味があるということに他ならないから。その人はほぼ間違いなく、対局を見てくれるはずなのです。こちら側から発信するだけでなく、相互に発信し合えるほうが、より興味を引くもの。これは何もインターネットの世界に限ったことではないはずです。
 ちょっと考えただけでも、ついアイデアが出てきてしまう、という例は小部屋のほうで。

 と、まあとりあえずはこれぐらい。何だか平凡なことばかりですよね(笑)すぐにでもできることばかりではないでしょうか。
 このことを悪く捉えてはいけないと思います。まだまだ伸びしろがあるということなのですから。今後も多くの棋士が協力して、この新しい形態の対局を盛り上げていきたいと思っています。皆さんもぜひ見てください!

最後に改めて、公式HPはこちらです。どうぞよろしく。



<おまけ>
大和証券杯 将棋 でgoogle検索してみました。
公式HPの次に上位に来ているのは、やはりと言うべきかボナンザー渡辺竜王。

この検索でいくつか一般将棋ファンのブログをチェック。僕がよく見ている中では、
将棋雑記帳
のぺのげPart3
せんすぶろぐ
あたりが引っかかりました。

他に目を引いたのはこの記事。おそらくは思わぬ反響と言ったところでしょう。

もっといろんなブログが引っかかるかと思ったのですが、意外な結果でした。ちなみに小部屋もなぜかありません。調べてみるとこんな感じでした。これで宣伝効果があるのかどうか。
posted by daichan at 10:40| Comment(21) | TrackBack(3) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月09日

レスに代えて

たくさんのコメントをいただき、ありがとうございました。「論外」という言葉は良くなかったですね。すみません。

いろいろとアイデアもいただいたので、新たなエントリを立ててレスさせてもらうことにしました。


◎対局室の上限人数を上げる
この要望は何人かの方にいただきました。実は、先日の棋士会でも、そういう意見は出たように記憶しています。
僕はシステムのことは分からないので、可能なのか、難しいのか、可能だけどコストが高すぎるのか、そのあたりはよく分かりません。観戦室をたくさん作ると負荷が下がるというのも、分かるような、分からないような・・(^^;

ただ、対局室に入れなかったので見るのをやめた、という人がたくさんいるとすれば残念なことです。僕は対局室でも観戦室でも見たことがありますが、それほど大きな差はなかったように思います。

決勝のとき、ためしに両方開いてみたのですが、数十秒のタイムラグがあるようでした。コメントが少なかったりとか、何分も指し手が更新されなかったりということは、全くなかったように思います。多くの人がなんとなく、観戦室では物足りない、格が下、「のような気がしている」のではないかと思います。なので、もし対局室に入れなくても、そこで観戦をやめないでください、とお願いしておきます。


◎チャットエリアを設ける
これは、僕の書いていることに近いと思いました。ある程度他の棋士にも開放されているほうが、速度が上がってもっとおもしろくなると思うんです。


>いままで初手を見たことがありません。
 これ、実は僕も同感です。まあでも、どうせ序盤は流して見てますから、そんなに気にならないのですが。
 「おねがいします」と声が入るぐらいなら、簡単にできるかもしれませんね?


◎音声、動画
 これはけっこう大変なのではという気がします(コストとか、人手とか、負荷とか)。技術的に可能かどうかと言うより、他の要素との兼ね合いになるのではないでしょうか。
 個人的には、全部無料で流してるんですから、あまり過度な要求はちょっと・・という気もします。案外簡単にできるというのであれば、ぜひやってほしいことではあるのですが。どのぐらい大変なことなのかは、僕にはよく分かりません。


>ネットを通じて対局が行われることの最大の意義は、対局者が別々の場所にいながら将棋を指すことができる、という点にあるはずです。将棋関係者は、その特性を生かすと一体何ができるのかを、徹底的に考えてみてはいかがでしょうか。

指さない将棋ファンさんからのコメントの抜粋です。このご意見は大変参考になりました。ご本人も書かれていますが、発想の転換が素晴らしいですね。ぜひ全文に目を通してほしいコメントでした。
厚木での羽生三冠の記事を「思わぬ反響」と書きましたが、それならば当然の反響を呼んでいくことも、考えてしかるべきですね。


>終盤の一番面白いところで指し手がまとめて更新されてしまうのが残念。1手ずつ確実に更新されるような仕様を要望。

これは、おそらく大和証券杯以外のネット中継を指しているのだと思います。ただ、順位戦とか特にそうですが、深夜の秒読みの中で複数局同時にやっているわけですから、現在の更新速度はとんでもなく速いと言って良いと思います。僕はスタッフの仕事ぶりをよく知っていますが、はっきり言ってあれは神業です。誰にでもできるものではありません。
大和証券杯で突然数手進むのは、たぶん、実際にバタバタと手が進んでいるのだと思われます。僕の観戦中にもそういうことはありました。


>参加意識を持てるような仕掛けが欲しい。
これは同意です。「対抗戦のアイデア公募」というのもそのためのアイデアのひとつです。


>サービスを無料・有料とで分けて提供してはいかがでしょうか
これは、おそらくスタッフも考えているのではないかと思います。専門家を交えて、話し合ってもらいたいと思います。(僕の頭ではとうてい分かりませんからね)



最後に、反応を示してくれたブログのリンクを貼っておきます。他にも我こそはという人がいれば、名乗りをあげてください(笑)

のぺのげPart3
Logical Space
ものぐさ将棋観戦ブログ
独り言雑記ブログ
ゴキゲン日記

あと最後に、別の場所で意見をいただいたのですが、
◎メルマガを活用して宣伝してはどうか
というご意見をある人からいただきました。僕は全く真逆なのですが、その人によればメールからネットに入ってきた人、というのがけっこういるそうなのです。なるほど、と思いました。


それでは、次の企画「熟練居飛車 vs 新鋭振り飛車」は、一週あいて7月22日からです。お見逃しなく!
posted by daichan at 21:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

女流関連

久々に書きたいことがまとめて出てきたので、3つほど。

その1。先日の女流王位戦最終局ですが、僕自身あとで気づいたんですが解説会がなかったのは残念でした。
数年前、たしか王位戦紅白リーグの最終日一斉対局だったと記憶しているのですが、女流棋士による女流対局の解説会が行われたことがありました。女流棋士会主催で解説会をするのは初めてということで、盛況だった記憶があります。
女流の対局に何かと注目が集まっている時機ですから、今回のような大きな一番では、ぜひまたやってほしかったと思いました。
女流棋士会もLPSAも、いろいろ新しい試みをたくさん打ち出していますが、まずは対局を見てもらうということは、これからも大切にしてほしいと思います。

その2。
昨日は順位戦の日にしては珍しく、女流の対局が2局あったのですが、その対局者4人が偶然にも全員LPSAの所属でした。こういうときはLPSAのほうで対局しても良いのでは?とこれがまず素朴な疑問。多少のハードルはありそうですが、徐々にでも実現してほしいですね。
考えられるメリットとして、対局場所が流動化(と言ってもたいしたことはないですが)すると、それだけ対局がファンの目に触れる可能性が高くなります。あくまで可能性ですが。

その3。大和証券杯に関して。
実はうっかり読み落としていたのですが、今度始まる女流戦は、実は公式戦だったんですね。なんとなく対抗戦の延長のような感じで考えていたので、ふと気づいてちょっとびっくりしました。
数人の棋士と話したのですが、選抜基準にあいまいなところがある(それ自体は僕は悪いことではないと思います)のに公式戦というのは、ちょっと妙な感じがしました。公式戦である以上は、あまり不公平感を生じさせないほうが良いと思いました。
ちなみに少し似た感じの棋戦で達人戦があります。これは非公式戦です。

それはさておき、僕は1回戦第1局の解説役を務めることになっています。11月18日(日)20時〜ですので、お見逃しなく。


前にもどこかで書きましたが、女流棋士はこと棋譜・対局記事の露出という点に関しては、男性よりも恵まれている意味があります。だからこそこの時期に、特に若手は頑張って強くなってほしい、と続けたはずですが、その意味ではこの大和証券杯とかはまさに格好の機会です。選ばれた若手には、ぜひタイトルホルダーをなぎ倒す活躍を見せてほしいと期待しています。


最後におまけ。先日のファミリーカップ、動画が順次アップされているようです。特に中倉姉妹は必見ですよ。

posted by daichan at 18:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月06日

テレビ予選について

今週の週刊将棋の連載中に書かせてもらったことについて、簡単に補足しておきます。

一言でいうと、毎年2月末に行われるNHK予選や、夏に行われる銀河戦予選は、「放映するわけではないので、結果などはすぐ公表すべきではないか」ということを書きました。正直なところ、特に異論が出るとは思えないんですが、いまのところそうなっていません。

先日ある先輩棋士に、「予選を指していることが分かると、その棋士が本戦ベスト4に進出していないことがわかってしまい、困るケースがある」という指摘を受けました。(本戦ベスト4は来期本戦シードになる)
これについて反論の余地は全くなく、対局時期をずらして対応するぐらいしか方法はないと思います。

ですがこれは原則と例外の逆転だと、この話を聞いたとき思いました。例外的に困るケースがあるからと言って、すべてを非公開にする理由になるとは思えません。やはり、対局結果は原則公開にしたほうが良いと私は思います。

昨年のいまごろに棋士会でも提案したのですが、残念ながら今年も見送られました。まあたいしたことではないと言ってしまえばそれまでなんですが、プロの世界なんですから、可能な限り情報は出すべきだと思うんですよね。


この話と直接には関係ないですが、すこし前にこういうエントリがありました。そう言えばこの人紹介するの久しぶりですね。

正直言って自分が対局してたらイヤですが(笑)、あの光景はたしかに商品価値があるような気がします。
いままで光の当たらなかった対局にもファンの目が向くのであれば、どんどん新しい試みはやっていくべきだと思いますね。
posted by daichan at 14:50| Comment(5) | TrackBack(1) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

たまには政治の話でも

給付金だそうですね。まわりに話して発散したりはしているのだけれども、どうにも怒りがおさまらないので書いてしまうことにした。せっかくブログ二つも持ってることだし。
まさか昔の怒りをもう一度思い出さされるとは思わなんだですよ。当時僕はまだ子どもだった記憶があったけど、調べてみるとさほど子どもでもなかったんですね。弟はもらえて僕はもらえない年だったみたいです。へー。そんな理由で怒ったとは思えないけど。

減税ならまだいいですよ。公共事業でも何でも、まあいいでしょう(ちなみに僕は消費税上げろ派ですが)。でもこれだけはダメですよ。だって集めたものをそのまま戻したら、手数料分だけ損してしまいます。一人二人ならたいした額じゃなくても、何千万人相手の手間というのはバカにならない金額ですよ。預かったら返すまでの間に運用しないと、銀行というのはつぶれてしまうんですよ。

と思ってたら本質を突いたブログ記事を見つけたので、僕も書いてしまおうと思った次第。

>そもそも、税金を広く市民から集めるのは、ある程度まとまったお金でしか出来ないことをやるためではないでしょうか?せっかくあつめた、それを広く市民に配るってのは、どう考えてもおかしいです。

というのがそのまま僕の言いたいことです。メディアの側も、辞退してもらう方式は良くないとか何とか、そういう話の前にこのぐらいの考察は加えて報道すべきではなかろうか。

僕は堀江さんは特に好きではないのですが(かと言って捕まるような悪いこともしてないと思いますが)、ブログを読んでいて頭の良い人なんだなということは分かります。この記事ひとつ取ってもそうですが、こんな大悪手をリカバリーして好手に変えられないかという発想がすごい。将棋指しも見習ったほうが良いかもしれない?

この案の良しあしは僕には分かりませんが、まあどうせそんなふざけたカネなら乗ってみたいものです。


ところで、僕が政治に最も望むことを一つあげるなら「借金を返してほしい」ということであり、そのための方策の一つとして関心が高いものが「一票の格差」というものです。

国の借金と一票の格差がどう結びつくのか?直接書かれているわけではないのですが、この本を読んだときにふと気づいたんですね。ああ、だからいつまでたっても借金が返せないんだと。

簡単に言うと
過疎地の票が強い=高齢者の票が強い⇒高齢者に喜ばれる政策のほうが実現しやすい⇒借金が返せない
ということです。地域間格差が5倍というのも深刻ですが、仮に世代間格差が同じだけあるとしたら相当深刻だと思いますよ。おまけに若年層は減っているわけだから、早く是正しないと格差は広がる一方です。

過疎地の票が強いことで、過疎地向けの政策が実現されるとすれば、それはこの狭い国土を支える上で大切なことのような気がしていました。しかし実際には特定の地域の声が国政に反映されるかとなると難しいところです。
対して、特定の世代の声というのは比較的反映されやすいものです。高齢者医療制度の迷走が良い例ではないでしょうか(ちょっと例が適切ではないかな?)

仮に世代間における一票の格差が是正されれば、その分だけいまより借金を返すモチベーションは高まるだろうというのが仮説です。そもそも僕の頭では、何百兆円も金を借りている状態で、さらに金を使おうという神経がわからない。細かい理屈は抜きにして、同じ感覚の人って世の中にたくさんいると思うんですけど、どうなんですかね。

一票の格差の裁判って大昔からずっとやっていて、毎年のように同じような判決が出ることが子どもの頃から不思議でした。そもそも裁判費用だってけっこうかかってるはずですし、さっさと是正したらいいと思うんですけどね。

上の本では最高裁への期待が投げかけられていますが、僕はこの国の制度上不作為の違憲判決を出すのはかなり難しいのではと考えている人間なので、大都市圏選出の議員さんに頑張ってほしいですね。そういう人がいたらもれなく応援するんだけどなあ。


と、あれこれ書いてだいぶ怒りもおさまってきたのでこのへんで。最後に余談ふたつ。

・本のタイトルの検索でアマゾンのページより上位にくる池田信夫ブログはすごい。
・このページのように写真でリンクを貼る方法を教えてください。特にシーサー仲間の方。
posted by daichan at 15:40| Comment(16) | TrackBack(0) | 意見・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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